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2007年7月31日 (火)

私のペリオ遍歴その3

 そんなわけで、きちんとした歯周病治療のためにはスタッフ特に歯科衛生士の体制の充実が不可欠でした。現在もそうですが、当時は非常に歯科衛生士(DH)の確保が難しい時期でした。何とか最初に来てくれた新卒のDHを自分なりに教育し、またDHもブラッシング指導やスケーリング等のスタイルを一緒に作り上げてくれました。しかしこのDHも4年くらいで退職、中途から採用したり、新卒を急いで入れたりと、とにかく途切れなかったのが不思議なくらい綱渡りで行なってきました。

 みな各々特長を持って頑張ってくれましたが、特に一時期勤めてくれた経験者のベテラン衛生士は、技術的にも安心して任せられたのみならず、それまでの経験から新しい風を当院に吹き込んでくれ、とても感謝しています。それにしても様々な理由(ネガティブ、ポジティブそれぞれ)により、なかなか長続きしないのは私の不徳のいたすところでしょうか。

 しばらくはこのように自院の体制を整え、患者さんに歯周病について説明し、ブラッシングの重要性を強調し、根気よく指導をしていくこと、それを定着させていく事が主な仕事であり、またある意味それで精一杯でした。

 以前は治療が一応完了するまで付いて来れず、途中で中断してしまう患者さんが多かったのですが、徐々に減っていきました。また治療終了後の定期健診への受診率も高くなってきました。世間一般の歯周病や、予防、健康に対する意識の向上にも多分に負っているとは思いますが、当院の歯周治療に対する取り組みが理解されてきたこと、また多少とも医院の実力がついてきたことの現われだと思っています。

2007年7月16日 (月)

私のペリオ遍歴その2

 医員、大学院生、助手として大学に在籍したあいだは、悪しき専門主義というか、セクト主義というか、なかなか他の教室をのぞいたり勉強しに行ったりということはありませんでした。今になって考えると、最新の研究や臨床がすぐ近くで行なわれていて、それもお金を払わずにのぞこうと思えばできたわけで、なんともったいない事をしていたのだろうとつくづく思います。
 以前書いたように開業医として立つことに徐々に決心を固めていた頃、歯周病の勉強も雑誌や教科書で少しずつ行なっていました。15年ほど前、伊勢崎に帰ってから、予想していた事ではありましたが実際の地方都市での臨床においては、プラークコントロールどころではないというか、歯周病やブラッシングに関する意識や関心は低い状態でした。押し寄せるカリエスや根管治療、補綴の治療に時間や精力を奪われ、なかなかプラークコントロールから入るきちんとした歯周治療は難しい毎日でした。

 そのままの臨床を続けていても、この頃は何とかなったと思います。もしかしたらずっとそのままの方が、経営的には良かったかもしれません。しかし何とか歯周治療をベースにしたしっかりした治療をと悩んでいたある日、「治療をしてもらっているのに、グラグラしてきちゃったよ」と苦情を言う患者Aさんに出会いました。「それは」と時間のない中で原因を説明し、歯周病の知識を教示し、当時はスタッフの体制もできていなかったので自分でブラッシング指導し、スケーリングをし、何とか外科手術まで行う事ができました。

 何人かこのような試行的な患者さんを経過するうちに、ブラッシングやスケーリングを任せられるスタッフ(衛生士)の必要性をつくづく痛感してきました。

2007年7月12日 (木)

私のペリオ遍歴その1

 臨床歯周病学会に行ったのを機会に、私の歯周治療(ペリオ)に対する思いとこれまでの取り組み、遍歴を書いていきたいと思います。

 医科歯科の学生時代、まず始めに歯周病学について教わった教授は木下先生でした。木下先生はプラークコントロール至上主義、つまり歯周治療の第一歩でありその基礎となるのはブラッシングを中心としたプラークコントロールであるという考えを学生にみっちりと植え付けられました。当時体を壊されていた木下先生に代わり、途中から石川烈助教授が教鞭をとられましたが、それは歯周組織の生理と病理、歯周病菌についてなど、歯周病学と歯周治療のへの憧れを掻き立てられるものでした。当時何も知らない私にとって、「プラークコントロールがすべての始まりであり、歯科治療の基礎である」という考え方は非常に新鮮かつ光り輝くもので、また歯周外科の手術のかっこよさや当時ようやく始まったGTRに関する伝聞からも、歯科医療とは何と素晴らしいものだろうと思いました。何を思ったか、このころ生協に並んでいたランフォードの歯周病学の教科書の原書を買い求め、少しずつ読んではノートに訳したりしていました。ちなみに、何年かかけて何とかこれは読み終わりましたが。そして卒業したら歯周病の教室に残ろうと考えておりました。

 歯学部の最終学年は患者実習なのですが、その時も治療計画を立ててブラッシング指導から入っていく歯周治療はとても楽しく思い、また拾い読みした歯学雑誌の記事や単行本からもますます歯周病学への憧れを強くしていきました。最終学年の後半、専攻生になるにしろ大学院をうけるにしろ残りたい教室に挨拶に行くのですが、私は早々とペリオの教室に挨拶に行っておりました。しかしその後最も最後に近くに聴いた「顎顔面補綴」の講義に感銘を受け、急遽顎補綴の医局に転がり込んだのです。歯周病の先生には丁重に謝りに行きました。

 というわけで、歯周病に関してはずっと興味と憧れを持って関心を持ち続けてきたわけです。