« CTの威力 その3 | メイン | 平成22年度群馬県歯科医学会 »

2011年2月12日 (土)

開院50年

 さて、すでに旧聞になってしまいましたが、昨年(2010年)11月1日、荒木田歯科医院は開院50年になりました。一時はパーティでもやろうかとも考えたのですが、忙しさにかまけてその計画もしなかったところ、ほんとうに嬉しいことに従業員から大きな花束をもらいました。待合室にそのまま飾るのもちょっと大げさだったので、創立者である両親の方にあげました。そこから少しずつ、待合室の生花にしてくれました。パーティの代わりと言っては非常にささやかですが、例年夏の暑気払いにお好み焼き屋(わが伊勢崎市の有名店、「欅」)に行っていたのが今年は諸事情で延び延びになっていたので、そこで宴会を行いました。

 私の父方の祖父は八戸から出てきた人で、戦前は県庁で土木関係の仕事をしていました。そのため太田、高崎、伊勢崎など度々引っ越していたようで、父も高崎高校を卒業しています。身内に医療関係の人はいなかったようですが、父は東京医科歯科大学に入学し、同期生には補綴の内山先生、長谷川先生、松本先生、保存の河野先生、歯周病の川崎先生等ご活躍された先生がいました。卒業後すぐに伊勢崎に戻り、栗原歯科医院に勤務しました。その2年後に伊勢崎市平和町で開業しました。

 昔の歯科医院といえば、国民皆保険が始まり、また戦後の虫歯の洪水で、朝暗いうちから玄関前に並ぶという現在とは全く異なった状況が思い浮かばれます。しかし開業した当初はそのバブルの直前だった様で、昼間から技工所へ遊びに行ったりしていたということです。

 やがてすぐに患者さんが押し寄せるような時代になりましたが、当時はうちより北のほうに歯科医院がなく、校医だった赤堀小学校から健診後にバスで児童を連れてきたことなどもあったようです。私の覚えている旧診療室は、一部座敷になっている広い待合室に患者さんが沢山おり、いつも子供の泣き声やタービンの音が聞こえていました。また技工士さんや住み込みの見習いのお兄さんもいて、技工室で遊んでもらったこともなんとなく覚えています。

 父は当時珍しかった時間の予約制や、先進的な医療技術などを積極的に取り入れてようとしていたようですが、如何せん患者さんの数が多くなかなかゆっくりとした診療を行う環境ではなかったようです。私が高校に上がる年にこの旧診療室を取り壊し、現在の建物を作りました。私も高校時代は反抗して理学部志望でしたが、結局父の母校の東京医科歯科に入学し、その後6年大学に残った後にこちらに帰ってきました。1年後に建物の中身を改築し、現在の診療室になっています。新しい診療室だと思っていましたが、ふと気がつくと現在の診療室が約20年と一番長い事になっていました。

 毎日あたふたと仕事をしてきたせいか、20年前もほんの最近のようですが、当時はブラッシング指導をしてもなかなか患者さんの関心も高まらず、始めたリコール率も低く、診療室も滅菌体制や医療安全体制など、ずいぶん現在とは違っていました。市内の歯科医院数も当時の倍以上になっており、患者さんの数もしばらく前までずいぶん減少しました。そんな中で診療体制、内容とも勉強とともに改善し、また自らの治療の技量も経験と訓練で上げて来たつもりです。おかげさまで数年前より患者さんの数も上昇に転じ、逆にご迷惑をおかけしているかも知れません。

 これからもそろそろ歳と共にキツクなってきた体にむち打ち、診療の体制、内容、技量ともに切磋琢磨していくつもりでいます。よろしくお願いします。

トラックバック

このページのトラックバックURL:
http://app.kazelog.jp/t/trackback/233039/25828024

開院50年を参照しているブログ:

コメント

コメントを投稿