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2008年6月24日 (火)

臨床歯周病学会26回年次大会

 Dscf0062 この土日(6/21・22日)、日本臨床歯周病学会第26回年次大会に行ってきました。会場は千葉県の市川市文化会館、1日目に衛生士部門のプログラムがあったため、今回はうちの衛生士2人を連れて勉強してきました。
 臨床歯周病学会は昨年入ったばかりなのですが、開業医の先生がほとんど中心となって運営している学会で、先々週行ってきた補綴学会とはずいぶん毛色が違います。研究と教育が仕事である大学の人が運営している学会と異なり、自分と同じ開業医の先生方が運営なさっている会なので、いつも申しわけないような気がしています。いつか機会があったら何かの貢献ができればと思っています。
 1日目の午前中は会員によるケースプレゼンテーションの発表。やはり研究機関でないだけに、常にノイエス(新しいこと)があるわけではありませんが、臨床医としていろいろ考えさせられる発表が続きます。午後は教育講演として、現在一般の人にも知られている新潟大学教授、安保徹先生の「ストレスと全身との関係」、その理論を取り入れて歯科治療等に生かしている新宿区開業、小西昭彦先生の「ストレスと歯周疾患」でした。安保先生の白血球の自律神経支配の理論は、そこから実際の治療法が書かれている著書も多く、ベストセラーになると同時に批判も多い様です。確かに講演を聴くと何となく納得するのですが、それは大きな流れとして実際の臨床上常に頭に置かなくてはならないことには間違いないものの、実際にそれのみに則って医療を展開していくのは難しい点が多々あると思います。小西先生の講演も同様です。
 もちろん患者さんの生き方全体を変えていくことができる医療者になりたいと思いますが、「そもそも論」に陥ってしまう場合が多い。つまり身体に悪い生き方をしたいと思って生活している方はいない、知識の不足や間違いによってそんな生き方をしている場合ばかりではなく、そのような生き方しか出来ない社会に身を置いている場合が多いと思います。だからといってこのような見方をしなくて良いというわけではありませんが、治療の原理として据える事はなかなか難しいと思います。歯周病に限らず、歯科治療に限らず、患者さんの生活全般と病気との関係への介入は、いつも難しい問題を抱えていると思います。
 さてこの土曜日は、歯科衛生士部門として別の部屋で講演や講習が行われました。午前中は衛生士のシンポジウムで、「歯科衛生士の業務の変遷と課題」を基調講演とする様々な衛生士像の講演。午後は10種類のセミナーが行なわれました。うちの2人は、「スケーリングスキルアップ講座」「歯肉縁下のプラークコントロール」「メディカルサポートコーチング法のご紹介」に参加しました。特にコーチングの話が新鮮で興味深かったそうです。普段イマイチはっきりしないなどと思っていたうちの衛生士ですが、今回結構楽しそうに勉強したようで、院長として見直した良い機会でありました。
 この日の晩は日暮里で開業(たかふじ歯科医院)している同級生の高藤先生と久々に会い、CDショップを経て夕食を食べながら情報交換。2週間前にあの殺人事件のあった交差点を過ぎた秋葉原のホテルに泊まりました。それにしても秋葉原の変わり様には驚きました。小学校の時は交通博物館に、中学の時はラジオの部品を買いに、大学にいた時はCDや実験用の部品を買い求めにと通い慣れた秋葉原ですが、ずいぶん垢抜けた一般向けの(?)町になったような感じです。

 2日目は午前午後、特別講演として米国の著名な臨床家であるPamela Kay McClain女史による、「コンビネーション・セラピーを用いた複雑な歯周骨欠損のマネージメント」がありました。歯周治療の究極的な目標である再生療法については、骨移植、組織再生誘導法、エムドゲイン療法などいくつかの手法が知られていますが、その評価と手技上の問題点、また難しい欠損に対するこれらの手法のコンビネーションの症例など、臨床に即した講演でした。術前術後やオペのスライド、エックス線など、眼を見張るような素晴らしい症例群でしたが、すぐに自分でも出来るかと誤解してしまうような危険性がありました。残念ながら実情として患者さんの経済的、また保険治療の問題からなかなか再生療法を試みる機会はないのですが、可能ならどんどんトライしてみたいと思ってはいます。アメリカでは治療費や訴訟の問題が大きいのでしょうが、保存するリスクの大きい歯はどんどん抜いてインプラントにしてしまう傾向にあるようです。日本でもそこにまた保険の問題も絡んできて、自費でインプラントは勧めやすいが再生療法など保存的な治療を自費で行うということは理解されにくい傾向にあると思います。しかし先生もおっしゃっていたように、もう一度安易に抜歯するのではなく何とか保存するようにトライしていくことも歯科の原点として大事ではないかと非常に共感します。

 ということで大変充実した2日間でしたが、運営に当たられた先生方に感謝します。また、ここの所疲れがたまっていて、絶対聴かなければと思いながらも意識が薄れていく自分が情けない時間でした。

2008年6月19日 (木)

補綴学会2008

 ここのところ多忙で一週遅れてしまいましたが、補綴学会の報告をします。

 先々週金曜日の診療を終え、本庄早稲田から新幹線に乗って名古屋に向かいました。6月7、8日と名古屋国際会議場で行なわれる日本補綴歯科学会学術大会に参加するためです。ずいぶん便利になったもので、8時前の新幹線で10時代には名古屋駅に到着していました。
 補綴学会は専門医(認定医)を取得しているので、私にとってはメインの学会と位置づけています。もっとも大学では顎顔面補綴の教室に残り、補綴の中ではいってみれば傍流であり、教室の規模も違うしやっている研究の流れもまだ日が浅かったし、補綴学会はいつも憧れというか、コンプレックスを持って出ていた学会でありました。また今となっては、まだ大学にいたり他大学で偉くなっている旧知の先生と一年ぶりに顔をあわせる貴重な機会でもあります。

 補綴学会はもちろん学術団体でメインは大学の補綴の教室員ですが、開業医もたくさん抱えておりしたがってプログラムも研究発表のみならず様々なテーマに関わるシンポジウム、特別講演、教育講演など盛りだくさんです。主にこれらの講演を聴いて回ったのですが、印象に残ったものなどを記録します。

 特別講演「認知症の最新情報」(国立長寿医療センター、遠藤英俊先生)では、認知症について診断、治療技術およびそれを支える医療と社会システムの現在について、興味深い話がありました。認知症は誰でもかかりうる病気なので専門医だけでなく一般医が見つけられなければならない。早期発見のための診断技術も発達し、さらに早期発見によって進行を止める事ができるようになって来た。そのため、一般医を対象とした研修、サポート医の養成などの事業が行なわれてきている。また地域でサポートも重要である、などでした。

 シンポジウムⅠ「補綴歯科治療の何が問題で、なにを解決するか?」(座長、徳島大学、市川哲雄先生)は非常に抽象的なテーマですが、現在学会で行なわれている補綴治療に関するガイドラインに関連した重要な問題提起でした。補綴に限らず歯科において保険の評価の低さがいつも言われており、会場からはガイドラインの作成等も保険の壁がある中では絵に描いた餅という意見も出ました。しかしむしろエビデンスを持ったガイドラインができることが、その評価の向上に大きな力になる可能性があるということでした。

 シンポジウムⅢ(日本歯科保存学会、日本歯科審美学会、日本補綴歯科学会共催)「臼歯部修復の審美と強度を考える」では、前記2つの学会から講師を招き、充填、ホワイトニングなどのそれぞれの手法について話されました。現在最もホットな話題でありますが、毛色の違った演者によるアプローチの仕方の違いに興味深いものがありました。

 教育セミナー「患者の行動を変えるコーチング・コミュニケーション」(杏林大学保健学部、柳澤厚生先生)では、近年注目されている「コーチング」の手法について、非常にわかりやすい講演がなされました。医院の現場で患者さんに対して、スタッフに対して、などすぐにでも役立つことがありました。以前聴いたことがあるビジネス・コーチングの話に比べ、講師が医師であることから医療現場での応用が非常に具体的にわかり、勉強してみようと思いました。

 専門医研修会「顎機能障害の診断と発症原因を考慮に入れた治療」では、「発症原因をコホート調査から紐解く」「パラファンクションと顎機能障害の発症」「顎機能障害に対する一般的な診断と治療法」ということで3人の演者が講演しました。いわゆる顎関節症のことですが、まだまだ未解決の部分が多いのだという印象でした。それにしても昨今ネットでよくみる顎関節症の治療を目玉とする宣伝や、うちの近所にもある咬み合わせを治せば何でも治ると言うような歯科医院、むやみに術者の考える理想の咬合にもっていってしまう強引な治療、などあまりに危険極まりない代物が横行している現状に警鐘を鳴らすべきだと思いました。

 このほかにもいくつも講演を聴き、へとへとになって帰ってきましたが、何人かの旧知の先生にも会えて楽しいひと時でした。名古屋のまちの感想は次の記事で。

2008年6月 3日 (火)

夜明け前

 数日前、島崎藤村の「夜明け前」を読了いたしました。私は若い時からけっこう読書をする方だと思うのですが、いわゆる小説というやつはとっても苦手でした。苦手というよりも、フィクションが何で面白いのか、という考えでした。高校の帰りなどずいぶん駅前の三光堂さんで立ち読みで粘ったり、また前橋の煥乎堂ではいつもこんなにたくさんの本があって死ぬまでに読めるのはどのくらいなのか、などと寂しい思いをしたりしていました。そんな中でも読むのはもっぱら文庫よりも新書、また文庫も思想哲学の類をわかりもしないのに読み漁っていました。

 それでもようやく大人になった最近、ようやく小説も読むべきものだなと思い始めた次第です。昨年の暮れから今年初めにかけては、話題の亀山訳「カラマーゾフの兄弟」を読みました。なかなか厳しかったです。それで。

 暮れに小諸の「中棚荘」という温泉旅館に家族で泊まったのですが、ここは島崎藤村ゆかりの宿で、ロビーの一角に書籍をはじめとしていろんな資料がありました。こじんまりとして暖かい雰囲気にあふれ、また料理も大満足な、たいへん好ましい宿でした。また「夜明け前」の舞台である木曽地方は御嶽山のお膝元ですが、亡くなった母方の祖父がたいへん熱心な信者であったことから私も何度か登頂し、自分でも興味があるというか、御嶽山信仰の末席に連なるものという自覚があります。それゆえ「夜明け前」と藤村にはもともと関心があったのでした。そんなことで今回中棚荘に泊まったことがきっかけで読み始めました。最初は話のテンポが遅い感じで、なんともだるいような気がしていたのですが、だんだんとこれまで知らなかった幕末から明治にかけての一般社会の変化や政治の中枢以外のことがよくわかり、たいへん興味を持って読み進めました。そして主人公半蔵の時代の流れと自らの立場と自分の希望との乖離にあせり、悩む姿が、他人事とは思えませんでした。読了してからさらに、いろいろと考えさせるものでした。

 これからも文学初心者として、いろいろ読んでみたいと思っています。