« 2011年1月 | メイン | 2011年4月 »

2011年2月24日 (木)

平成22年度東京医科歯科大学群馬県歯科同窓会

 2月5日(土)の午後、群馬県の東京医科歯科大学歯学部同窓会がありました。先週に引き続き土曜を半日にして、高崎駅のホテルメトロポリタンに向かいました。毎年総会の前に講師の先生を呼んで講演をしてもらうのですが、今年は私の同級生で新潟大学教授(大学院医歯学総合研究科生体歯科補綴学分野教授、医歯学総合病院インプラント治療部部長)の魚島勝美先生に講演を頼みました。
 魚島君は以前のブログ、HPに掲載してある「私のインプラント事始め」にあるように、なかなか厳しい経歴を経てきた人です。群馬県には関越支部会、歯科医学会等関係が深く、幸か不幸か同級生の中では行き会う機会も多い方です。

 講演の演題は「インプラントを含む一口腔単位の診療計画」ということで、たまたま一週間前の小宮山先生の講演と同じく行き過ぎた「インプラント信仰」、あるいは「どこでもインプラント主義」に警鐘を鳴らすものでした。医科歯科大の保守性によるのか、残念ながら出席した同窓生の中にインプラントをしている先生はわずかだったのですが、「インプラントは歯科医師として今や避けて通れない治療法の一つである。たとえ自分で行わないとしても、その臨床応用を知っておくことは必要である。」ということでの講演でした。

 率直に言って、非常に安心したというか、すんなりと納得のできる話でした。インプラント関係、最新技術と称する話を聞いたり雑誌を読んだりしていると、「本当に出来るのだろうか」とか「特殊な治療だろう」とか考える反面、「遅れてしまうのではないか」とか「自分の臨床はショボイのではないか」とか不安や劣等感、焦りを覚えることもあります。しかしながら彼の講演内容、紹介された臨床は極めて「まっとう」であり、「オーソドックス」であると思いました。この安心感は医科歯科の同窓生の講演を聴いた時のストンと腑に落ちる感じでもありました。学生の時の実習でいつも極めて美しい技工物を作っていた魚島先生の臨床の写真が、商業雑誌や講演で見せられるピカピカの審美歯科写真とは違って実感のある物だったことに妙に感動しました。

 その後懇親会に移行し、魚島先生、群大の根岸先生という同級生をはじめ、部活動繋がりの先生など、とても楽しいひとときを過ごしました。医科歯科大は上下の差別が極めてゆるい事が良くも悪くも特徴です。お互いに人格を尊重する姿勢があるのだと思います。2次会にも参加し、久しぶりの楽しい晩でした。

2011年2月18日 (金)

平成22年度群馬県歯科医学会

 例年のように、今年も1月末の土日すなわち29、30日に群馬県歯科医学会学術大会等が行われました。高崎問屋町のビエント高崎において、私も学会の幹事(=スタッフ)の一人として参加しました。今年は補綴学会も関係なく、自分の学会発表もないためある意味気が楽でしたが、土曜の昼から現地に集合し、会場の用意をして、この日は教育セミナーが5本行われました。
 自分に関係のあるものとしては、横浜市開業の田中五郎先生の「筋圧中立帯を基準とした総義歯製作法」が興味ある講演でしたが、具体的基本的には私たちが教わってきた現在の正統的総義歯臨床と一致するものだと思いました。歯槽頂間線法則を考え直すものとして話されていましたが、まだ世間(歯科界)一般では歯槽頂間線法則による配列が通法なのでしょうか。私の考えでは、どちらの法則に必ずしもとらわれることなく、症例の条件で臨機応変どちらをより当てはめるか考えるべきだと思います。
 最後の土屋和子先生の「バイオフィルムの概念が変えたスケーリングと身体の健康」が本日のメインというか、多くの衛生士さんが参加してくれました。講師はいわゆるカリスマDHのはしりの方なので、多くのファンがいるようでした。
 2日目は一般口演が16題、その後午後3時半から特別講演として小宮山彌太郎先生の「今思う、インプラント治療への警鐘」が行われました。これは同時に補綴学会関越支部会の学術講演会として企画されたものです。小宮山先生は衆知のとおりブローネマルクインプラントを日本に紹介した第一人者でいらっしゃいますが、元々は東京歯科大学の有床義歯で関根先生のもとで助教授をされた方です。私が大学院の時に部分床義歯の論文を読み漁った中でずいぶんお名前を拝見しましたので、自分の中ではそちらの顔のほうが先に意識にありました。以下、内容は関越支部会への報告書に書いた文から。

 近年インプラント治療の急速な普及に伴い、その「影」の面が社会的にもクローズアップされているが、演者はオッセオインテグレーションインプラントを日本に紹介した第一人者である立場からこの状況に警鐘を鳴らしている。親しく交流されているブローネマルク先生の言葉も織り交ぜ、安易な裏付けの乏しい新技術、製品に飛び付くことへの警告、確立されたプロトコールの尊重、滅菌操作等の基本の順守、など治療計画から臨床での細かい点についてまで話された。インプラント治療は欠損補綴に対する強力な治療手段であるが、ひとたび誤ると患者さんと術者、さらには歯科医療界全体に大きなダメージを与えかねないものであることを認識させられた充実した講演であった。

 全プログラムが終わったあとに場所を変えて懇親会があり、小宮山先生もいらっしゃるので是非出たかったのですが、2日間とも吐き気と頭痛で最悪の体調、残念ながら大事をとって帰りました。

2011年2月12日 (土)

開院50年

 さて、すでに旧聞になってしまいましたが、昨年(2010年)11月1日、荒木田歯科医院は開院50年になりました。一時はパーティでもやろうかとも考えたのですが、忙しさにかまけてその計画もしなかったところ、ほんとうに嬉しいことに従業員から大きな花束をもらいました。待合室にそのまま飾るのもちょっと大げさだったので、創立者である両親の方にあげました。そこから少しずつ、待合室の生花にしてくれました。パーティの代わりと言っては非常にささやかですが、例年夏の暑気払いにお好み焼き屋(わが伊勢崎市の有名店、「欅」)に行っていたのが今年は諸事情で延び延びになっていたので、そこで宴会を行いました。

 私の父方の祖父は八戸から出てきた人で、戦前は県庁で土木関係の仕事をしていました。そのため太田、高崎、伊勢崎など度々引っ越していたようで、父も高崎高校を卒業しています。身内に医療関係の人はいなかったようですが、父は東京医科歯科大学に入学し、同期生には補綴の内山先生、長谷川先生、松本先生、保存の河野先生、歯周病の川崎先生等ご活躍された先生がいました。卒業後すぐに伊勢崎に戻り、栗原歯科医院に勤務しました。その2年後に伊勢崎市平和町で開業しました。

 昔の歯科医院といえば、国民皆保険が始まり、また戦後の虫歯の洪水で、朝暗いうちから玄関前に並ぶという現在とは全く異なった状況が思い浮かばれます。しかし開業した当初はそのバブルの直前だった様で、昼間から技工所へ遊びに行ったりしていたということです。

 やがてすぐに患者さんが押し寄せるような時代になりましたが、当時はうちより北のほうに歯科医院がなく、校医だった赤堀小学校から健診後にバスで児童を連れてきたことなどもあったようです。私の覚えている旧診療室は、一部座敷になっている広い待合室に患者さんが沢山おり、いつも子供の泣き声やタービンの音が聞こえていました。また技工士さんや住み込みの見習いのお兄さんもいて、技工室で遊んでもらったこともなんとなく覚えています。

 父は当時珍しかった時間の予約制や、先進的な医療技術などを積極的に取り入れてようとしていたようですが、如何せん患者さんの数が多くなかなかゆっくりとした診療を行う環境ではなかったようです。私が高校に上がる年にこの旧診療室を取り壊し、現在の建物を作りました。私も高校時代は反抗して理学部志望でしたが、結局父の母校の東京医科歯科に入学し、その後6年大学に残った後にこちらに帰ってきました。1年後に建物の中身を改築し、現在の診療室になっています。新しい診療室だと思っていましたが、ふと気がつくと現在の診療室が約20年と一番長い事になっていました。

 毎日あたふたと仕事をしてきたせいか、20年前もほんの最近のようですが、当時はブラッシング指導をしてもなかなか患者さんの関心も高まらず、始めたリコール率も低く、診療室も滅菌体制や医療安全体制など、ずいぶん現在とは違っていました。市内の歯科医院数も当時の倍以上になっており、患者さんの数もしばらく前までずいぶん減少しました。そんな中で診療体制、内容とも勉強とともに改善し、また自らの治療の技量も経験と訓練で上げて来たつもりです。おかげさまで数年前より患者さんの数も上昇に転じ、逆にご迷惑をおかけしているかも知れません。

 これからもそろそろ歳と共にキツクなってきた体にむち打ち、診療の体制、内容、技量ともに切磋琢磨していくつもりでいます。よろしくお願いします。

2011年2月11日 (金)

CTの威力 その3

 CTによって、口腔外科的な疾患の確定を行うことももちろんあります。というか我々開業医の立場としては、大学病院等の口腔外科専門医へ送るべきかどうかの確定と、さらに患者さんへの説明に用いることができますFukasawa2

 患者さんは下顎の総義歯が合わなくなったということで来院したのですが、どう見ても通常の「合わない」状態ではありませんでした。通常のパノラマX線写真(左)でも不明瞭な不透過像が下顎骨に見られたのですが、Fukasawa2917_0903000 CT(右)を撮影してみると明らかな病変とその広がりが分かり、囊胞性の病変だろうと診断されます。患者さんにも画像を見て頂いて納得してもらい、病院歯科口腔外科に紹介しましたが、やはり下顎囊胞ということで治療されました。

 またこの患者さんは、痛みはないものの上顎の大臼歯部(歯の欠損部)が腫れ、膿が出たとSaegusa1 いうことで、内科を受診したあとに来院されました。かなり以前に蓄膿の手術をしたということで、術後性頬部嚢胞が疑われましたが、CTを撮影してみるとやはり上顎洞に異常が認められました。かつての蓄膿症の手術(上顎洞根治手術)あとになって骨の中に嚢胞ができる事が多いのです。特にこの患者さんの場合、上顎洞頬側の骨が一部消失してしまっており(写真右)、そこから内容物が口腔内に漏れでてきたのではと推測されました。近所の耳鼻科の先生にCTを見て頂き、治療を依頼しました。

 ところで根管治療(根の治療)のためにCTの撮影を重ねてくると、上顎の歯に関してこれまTakeda2 で考えていたよりずっと多く、上顎洞に影響を及ぼしている(様に見える)歯が多いということに驚いています。もちろん以前から教科書的な常識としても、上顎臼歯は根尖(歯の根の先端部)が上顎洞(右の写真で黒く見えるところ、頬部の骨の中の空洞で、鼻の奥につながっており、蓄膿症の時に膿がたまる)に近い場合が多いことはわかっていました。また右のように根尖と上顎洞の間がほとんど接している場合もあり、抜歯によって穿孔(穴があいてしまう)したり歯性上顎洞炎といって歯髄の感染が原因の副鼻腔炎(蓄膿など)が起こることも承知していました。しかしながら右の写真のように症状がなくても上顎洞の粘膜が肥厚していたり、何らかの炎症の徴候が見られる場合が非常に多いことを実感しています。この写真のように非常に接している場合のみならず、根尖と上顎洞の間にある程度骨がある場合でも見られます。

 このような症状のない上顎洞粘膜の兆候はどうするべきか、積極的に歯の治療を行ってさらに粘膜の状態を観察するべきなのか、等これから研究していくべき問題だと思います。CTによって様々な病変が、今までに比べて手に取るように分かる場合がある、今まで見えなかったものが見える場合がある事を運用1年で実感しています。見えれば即治療できるかといえば、それは必ずしも言えませんが、何よりもまず「見える」ことは治療の最初の一歩であると思います。これからも必要に応じて積極的にCTを活用していきたいと思います。