2007年12月28日 (金)

「サイナスリフトの臨床」研修

 去る12月16日に、医科歯科大学同窓会主催のセミナーのひとつに参加し、これが今年の研修収めになりました。インプラント関係で、「サイナスリフトの臨床」という実習のコースでした。サイナスリフトとはインプラントを埋入するための手術の一つです。頭蓋骨の一部である上顎には、上顎洞という骨の中の空洞があります。これは鼻腔と小さい穴を通して交通しており、いわゆる蓄膿症の時に膿がたまる副鼻腔のひとつです。もともと上顎の臼歯部では、人によっては歯根がここに突き出していたり、虫歯が原因で感染を起こしたりするような近い場所なのです。上顎臼歯を抜歯すると、歯を支える骨が吸収したり上顎洞が下がってきたりして、上顎洞までの距離が非常に小さくなってしまう場合がままあります。中にはほんの1~2ミリの卵の殻のような骨しかなくなってしまうこともあります。こんな状態ではとてもインプラントを植える事はできません。
 その時に行なうのがサイナスリフトで、口の中から上顎洞側壁の骨に窓を開け、骨と上顎洞粘膜の間に他の部位から採取した骨や人工骨を移植する手術です。これによってインプラントの適応症がまた一つ広がります。
 今年は約60本のインプラントを埋入する事ができましたが、その半数くらいが何らかの付加的手術を必要としました。要するにインプラントを必要とする場所はかなり「やられている」場合が多いということです。何が何でも骨を作ったり、自然な形にならなければいけないわけではない、できれば骨移植等の手術は避けたいものですが、やはり必要な場合が多いと思います。いろいろな手技を慎重に臨床に取り入れてきましたが、今回研修したサイナスリフトもいつか必要に応じて行ないたいと思います。

2007年12月 9日 (日)

二階堂先生のソフトティッシュ・マネジメントのコース

 11月2日(日)、先週に続き今週は上野で、SPIというインプラントのシステムの主催による、二階堂先生のインプラント周囲のソフトティッシュ・マネジメントのコースがありました。SPIはスイスの会社で、日本ではモリタの子会社であるアスパックが扱っているインプラントです。私はそれを採用するつもりはないのですが、二階堂先生の講習が受けたくて参加しました。ソフトティッシュ・マネジメントとは、歯やインプラント周囲の軟組織すなわち簡単に言うと歯肉の処理の事です。歯周組織やインプラント周囲の組織の健康を保つためには、それを支える骨のみならず歯肉やその中の結合組織の状態が重要です。簡単にいうと固くて厚い歯肉が周りにあることによって、プラークが引き起こす炎症に対する抵抗性がまします。そのために口蓋などから歯肉やその内部の組織を移植します。今回は午前中に講義、午後に豚の下顎を使った実習のコースでした。歯周治療における歯肉の移植術はこれまでも私も行なっていますが、インプラント周囲での適用について勉強しようと参加しました。
 実習付きのコースではいつも思うのですが、大体のことは本で分かったつもりでいても、やはり実習を行なうと細かいノウハウが得られます。今回は10人以下の人数の結構濃い内容のものでした。
 インプラントの会社の主催だったのでSPIインプラントの埋入も行なったのですが、結構しっかりしたシステムで部品のヴァリエーションも多く良い面もありますが、私の現行のシステムと異なる手動の埋入はかなり違和感がありました。

臨床歯周病学会支部研修会

 11月25日、東京三田のベルサール三田で、日本臨床歯周病学会第45回関東支部研修会がありました。午前中は「咬合性外傷が存在した歯周病罹患歯への対応」をテーマとしたシンポジウム、午後は長野の谷口威夫先生による基調講演「大きく開かれた歯科衛生士の業務範囲!」で、午前中には同時に歯科衛生士のためのセッション、午後は合同の講演でした。

 午前中のシンポジウムは比較的若い先生の症例発表的なものでそれなりに勉強になりましたが、いつも感じる違和感がやはり残りました。歯周治療に限らず、歯科医療は「二分」あるいは「二極化」してしまっているという感じです。求めるものによる患者さんの層が二分しているともいえると思います。いろいろな治療を、長い時間をかけて、高い費用をかけて、みんなができるの?という疑問です。それは求められて質問、コメントした川崎先生の発言にも通じるものだと思います。「みなさん、この治療は長い期間をかけて仕上げて、一体どの位持つの?」

 午後の谷口先生の講演は、まず歯科衛生士の業務範囲について、以前から例えば歯肉縁下の歯石除去など、保健の指導のときなどに何となくグレーゾーンと捉えられていましたが、実はずっと前から一定条件を満たせば堂々と行なえた、しかしそれが意図的に周知されてこなかったのではないか、というような事でした。最近になって、参議院議員の櫻井充(私の大学の医学部の同級生)による質問主意書などによって厚生省側から回答が出て、それを基にさまざまな学会において歯科衛生士の業務範囲が検討され、日本歯科医師会に答申されたという事です。しかしながらまた、意図的なのかどうかそれが周知されるには至っていないようです。さらに谷口歯科における谷口先生の歯周治療の紹介がありました。ずっと以前から私が尊敬する数少ない先生の一人なのですが、全部真似するのは無理だしそのつもりもありませんが、その信念、骨太の臨床にはいつも感動を覚えます。

2007年11月 3日 (土)

総義歯の難症例

 ここの所たまたま何人か、難症例の総入れ歯の患者さんが続いています。さらにそのうちの2人は読売新聞に載った「医療ルネッサンス」の記事で、補綴学会の専門医を知ったことで来てくれた患者さんで、たいへんありがたく思っています。しかしながらいずれもたいへん難しい症例の方で、患者さんにも通院回数等ご苦労をかけてしまっています。

 それにしても総義歯の患者さんもずいぶん減少した印象があります。私が群馬に帰ってきた15年前当時は、普段の人数もそうですが、とりわけ年末近くなると「新しい入れ歯に着替える」というような感覚で、総入れ歯の老人がどっといらっしゃったものでした。高齢者の自己負担が無料あるいは定額だった事も理由のひとつでしょうが、それだけでなく無歯顎の患者さんがずっと多かったのだと思います。
 近年よほどグラグラにならなければ歯を抜かなくなったので、総義歯の患者さんは減ったものの、総義歯になってしまった患者さんはとっても難しい状態になった、とよく言われます。歯周病が進むと歯の周りの骨が吸収してしまうので、その状態で長く置くと抜いた後の顎の骨もよっぽど平らになってしまっています。さらに総義歯になる年齢がより高齢になってきたので、顎の運動や舌や頬など軟組織の運動が義歯を使うのに適応できにくくなっていると言われます。このような状態でさらに人数が少ないのですから、今の若い先生方は練習の機会も少なくて大変だと思います。

 補綴の教室に残ったりしたがって学会の専門医だったりする私たちは、いわゆる世に言う「名人」ではなくても、困った時にいろいろ引き出しがある、どんな事をやってみたらよいかオプションに関する知識はあると思います。どうしても上手く行かない時に対処できる、横道に抜けてみることができることが利点だと思います。

 

2007年10月 8日 (月)

補綴学会関越支部会19年度学術大会

 本日、補綴学会関越支部会の平成19年度学術大会に行ってきました。補綴学会は本会の他に全国がいくつかの支部に分かれ、活動しています。新潟県、群馬県、栃木県の3県が関越支部になっており、主に新潟大学の歯学部と日本歯科大学新潟校が主幹で運営しています。だいたい隔年で新潟と、栃木または群馬のどちらかで支部学術大会が開催され、今年は栃木の宇都宮で行なわれました。
 宇都宮まではどうしようかと思ったのですが、車で行きました。うちから大体1時間45分で、会場である栃木県歯科医師会館に到着しました。午前中は学術大会でいわゆる学会発表、午後は生涯学習セミナーとして講演が行われました。
 午前中の発表は様々でしたが、感想としてはその研究がどうに臨床につながるのか、が解らないものが多いと思いました。私の知識と洞察力の不足のせいかもしれませんが、その研究が明日の臨床をどう変えていくか、はっきりしない場合が多いように思いました。
 お昼休み中に、役員会が開かれました。今年度から私は、縁あって高崎の宮下英一郎先生とともに群馬県の理事を拝命しました。とりあえず働く事はないのですが、これから何かの機会に仕事ができればと思っています。
 午後は「ジルコニア・オールセラミックス・システムの臨床応用」として、3人の演者の先生が基礎、臨床を講演されました。ジルコニアとは「人工ダイヤ」とも言われる極めて強度の大きなセラミックス(陶材)で、近年これが歯冠材料の一部として使われるようになり、全く金属を使わない修復がこれまでよりも信頼性が高くできるようになりました。オールセラミックスでは、金属を使わない事で光の透過性が生まれ、透明感のある、自然な色の冠ができ、また歯肉などに対する生物学的な適合性も良くなります。これがジルコニアによってブリッジや奥歯でもかなり安心してできるようになってきました。まさに自然に見える歯というこれまでの夢が実現しかかっています。特にSJCDの瀬戸先生のご発表は、極めて美しい仕上がりで見ているだけで勉強になりました。それにしてもこんなに審美性にこだわって治療させてくれる患者さんがたくさんいるのかしら、と、自分の診療室と比較して思ってしまいます。私はまだ未体験ゾーンですが、機会があったら是非臨床応用したいと思います。

 終了後は何種類かの宇都宮餃子(冷凍)を買い込んで、帰途に着きました。佐野藤岡インター付近が渋滞で出口方向が全然動かなかったので、途中で諦めて館林に向かい、そこから帰ってきました。

2007年9月24日 (月)

インプラント用の予備エンジン

 先日、新しいインプラント手術用のエンジン(ドリルを回す機械)を購入しました。これまで使用していたものがダメになったわけではないのですが、さらに2台目を買った訳は二つあります。

 ひとつは、「ライト付き」が使いたいと思った事。現在歯科のユニット(治療用のイス)に付いているタービンやエンジン(歯を削る器械)は、ほとんど「ライト付き」になっています。狭い口の中で細かい作業をする我々にとって、現在では必須のものとなっています。イスに無影灯と呼ばれる電灯はついていますが、どうしても影になる部分が出てきます。若い頃はそれでも充分見えましたが、最近ではコントラストが強い状態では非常に辛いものがあります。最近インプラント用のエンジンでも、ライトつきが登場してきました。

 もうひとつは、「予備」が必要な事。インプラント手術中にエンジンが故障してしまったら、どうしようもありません。何とかユニットの器械で続ける事もできない事はありませんが、充分な事はできません。どこが違うかというと、ひとつは注水機構。インプラント手術で骨を切削する時は、生理的食塩水で充分に冷却する必要があります。もうひとつは滅菌性能。インプラント用のエンジンは、コードの部分からすべて滅菌して使用します。さらに回転数とトルクの調整。骨を切削する場合摩擦による過熱を防がなければならないため、指定の回転数で回る必要があり、またインプラントの埋入やねじ切りを行う場合、ごく遅い回転数でかつ指定された力で動く必要があります。それにしても2台置いておくのは非常に贅沢なのですが、患者さんのためには必要です。おかげさまでつい先月、インプラント埋入数が100本を越えました。これだけ数が多くなってきたとき、やはり故障する確率は考えなければならないと思いました。

 インプラントに関しても、さまざまな新しい技術や方式がどんどん出て来ますが、今後もあまり惑わされる事なく、かつ確実な新しいものを取り入れつつ、臨床に努力して行きたいと思っています。

2007年8月24日 (金)

私のペリオ遍歴その4

 このように何とか「ベーシックな」歯周治療をこなすための医院の態勢をつくり、患者さんを持続的に見ていくことをある程度出来るようにすることが、けっこう大変な事です。実際の仕事を担う歯科衛生士の確保が不安定なこと、保険診療による診療報酬がとても十分とは言えずさらにその改定の度に下げられていること、患者さんの治療に対する動機が診療期間が長くなるにしたがって下がりがちなこと、など不利な要因はいつも付きまといます。

 こんな泥臭い奮闘をしているうちに、ふと周りを振り返ると、最近の歯周治療のトピックスはずいぶん「カッコイイ」ことになっています。インプラント、歯周組織の再生治療、マイクロサージェリーなどの歯周外科手術、細菌をターゲットにした薬物療法など、様々な華々しい治療が紹介されています。もっともこれらの治療の基本的な紹介はずいぶん前になされていましたが、患者さんの意識の向上によってこれらの療法が受け入れられる状況になってきたという事でしょうか。

 それにしても、これらのようなアドバンスな治療が成立するにはそれ以前の基本的な治療(とにかくプラークコントロール)が問題なくなっているということが必要です。最近ではその部分はあまり話題にならない気がするのですが、果たしてこれは解決済みということなのでしょうか。私は疑問だと思います。どうしてもインプラントや再生療法などの華々しいところに現在目を奪われがちなのではないでしょうか。せめて自分の診療室では、足元もきちんと見て地に付いた治療をしていきたいと思っています。

 ではありますが、やはり最新の知識、技術にそっぽを向くのもそれはまた問題です。これまで上記のような事で、自分としては若干遅れを取ったという自覚がありました。そのためもあって、しばらく前からたくさんの研修への参加と、また今年になって臨床歯周病学会への入会をしたという次第です。おかげさまでまた大分近年の流れをつかむ事ができたと思っています。これからもその知識、技術を多くの患者さんに還元していきたいと考えています。

2007年7月31日 (火)

私のペリオ遍歴その3

 そんなわけで、きちんとした歯周病治療のためにはスタッフ特に歯科衛生士の体制の充実が不可欠でした。現在もそうですが、当時は非常に歯科衛生士(DH)の確保が難しい時期でした。何とか最初に来てくれた新卒のDHを自分なりに教育し、またDHもブラッシング指導やスケーリング等のスタイルを一緒に作り上げてくれました。しかしこのDHも4年くらいで退職、中途から採用したり、新卒を急いで入れたりと、とにかく途切れなかったのが不思議なくらい綱渡りで行なってきました。

 みな各々特長を持って頑張ってくれましたが、特に一時期勤めてくれた経験者のベテラン衛生士は、技術的にも安心して任せられたのみならず、それまでの経験から新しい風を当院に吹き込んでくれ、とても感謝しています。それにしても様々な理由(ネガティブ、ポジティブそれぞれ)により、なかなか長続きしないのは私の不徳のいたすところでしょうか。

 しばらくはこのように自院の体制を整え、患者さんに歯周病について説明し、ブラッシングの重要性を強調し、根気よく指導をしていくこと、それを定着させていく事が主な仕事であり、またある意味それで精一杯でした。

 以前は治療が一応完了するまで付いて来れず、途中で中断してしまう患者さんが多かったのですが、徐々に減っていきました。また治療終了後の定期健診への受診率も高くなってきました。世間一般の歯周病や、予防、健康に対する意識の向上にも多分に負っているとは思いますが、当院の歯周治療に対する取り組みが理解されてきたこと、また多少とも医院の実力がついてきたことの現われだと思っています。

2007年7月16日 (月)

私のペリオ遍歴その2

 医員、大学院生、助手として大学に在籍したあいだは、悪しき専門主義というか、セクト主義というか、なかなか他の教室をのぞいたり勉強しに行ったりということはありませんでした。今になって考えると、最新の研究や臨床がすぐ近くで行なわれていて、それもお金を払わずにのぞこうと思えばできたわけで、なんともったいない事をしていたのだろうとつくづく思います。
 以前書いたように開業医として立つことに徐々に決心を固めていた頃、歯周病の勉強も雑誌や教科書で少しずつ行なっていました。15年ほど前、伊勢崎に帰ってから、予想していた事ではありましたが実際の地方都市での臨床においては、プラークコントロールどころではないというか、歯周病やブラッシングに関する意識や関心は低い状態でした。押し寄せるカリエスや根管治療、補綴の治療に時間や精力を奪われ、なかなかプラークコントロールから入るきちんとした歯周治療は難しい毎日でした。

 そのままの臨床を続けていても、この頃は何とかなったと思います。もしかしたらずっとそのままの方が、経営的には良かったかもしれません。しかし何とか歯周治療をベースにしたしっかりした治療をと悩んでいたある日、「治療をしてもらっているのに、グラグラしてきちゃったよ」と苦情を言う患者Aさんに出会いました。「それは」と時間のない中で原因を説明し、歯周病の知識を教示し、当時はスタッフの体制もできていなかったので自分でブラッシング指導し、スケーリングをし、何とか外科手術まで行う事ができました。

 何人かこのような試行的な患者さんを経過するうちに、ブラッシングやスケーリングを任せられるスタッフ(衛生士)の必要性をつくづく痛感してきました。

2007年7月12日 (木)

私のペリオ遍歴その1

 臨床歯周病学会に行ったのを機会に、私の歯周治療(ペリオ)に対する思いとこれまでの取り組み、遍歴を書いていきたいと思います。

 医科歯科の学生時代、まず始めに歯周病学について教わった教授は木下先生でした。木下先生はプラークコントロール至上主義、つまり歯周治療の第一歩でありその基礎となるのはブラッシングを中心としたプラークコントロールであるという考えを学生にみっちりと植え付けられました。当時体を壊されていた木下先生に代わり、途中から石川烈助教授が教鞭をとられましたが、それは歯周組織の生理と病理、歯周病菌についてなど、歯周病学と歯周治療のへの憧れを掻き立てられるものでした。当時何も知らない私にとって、「プラークコントロールがすべての始まりであり、歯科治療の基礎である」という考え方は非常に新鮮かつ光り輝くもので、また歯周外科の手術のかっこよさや当時ようやく始まったGTRに関する伝聞からも、歯科医療とは何と素晴らしいものだろうと思いました。何を思ったか、このころ生協に並んでいたランフォードの歯周病学の教科書の原書を買い求め、少しずつ読んではノートに訳したりしていました。ちなみに、何年かかけて何とかこれは読み終わりましたが。そして卒業したら歯周病の教室に残ろうと考えておりました。

 歯学部の最終学年は患者実習なのですが、その時も治療計画を立ててブラッシング指導から入っていく歯周治療はとても楽しく思い、また拾い読みした歯学雑誌の記事や単行本からもますます歯周病学への憧れを強くしていきました。最終学年の後半、専攻生になるにしろ大学院をうけるにしろ残りたい教室に挨拶に行くのですが、私は早々とペリオの教室に挨拶に行っておりました。しかしその後最も最後に近くに聴いた「顎顔面補綴」の講義に感銘を受け、急遽顎補綴の医局に転がり込んだのです。歯周病の先生には丁重に謝りに行きました。

 というわけで、歯周病に関してはずっと興味と憧れを持って関心を持ち続けてきたわけです。