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2007年5月26日 (土)

補綴学会(神戸)に行ってきました

 5月18日金曜日の診療は5時半で終わらせていただき、大急ぎで神戸に向かいました。東海道新幹線には喫煙車があることを忘れ、自由席の喫煙席に飛び乗ってしまいました。乗車率は120%という事でしたが何とか座れ、弁当を食べ始めました。さすがに4時間煙の中は辛かったですが、煙のせいか頭がさえてずっと本を読んでおりました。新神戸に着いたのは11時前、歩いてホテルに向かいました。

 次ぐ19日土曜日の9時からの日本補綴歯科学会第116回学術大会(第5回アジア補綴歯科学会併催)にポートピアホテルへ向かいました。補綴学会は昨年から年1回の開催となり、参加者も集中するせいか、会場は大変な人込みでした。開業医にとっては一般講演(いわゆる学会発表)をずっと聴いているのは大変ですが、最近の学会は特別講演やシンポジウム、セミナーなどが数多く組み込まれており、臨床に直結する勉強ができるようになっています。それにしても朝9時から夕方6時過ぎまでのプログラムにずっと出ているとかなり疲れます。

 一日目のなかではSDAに関するシンポジウムが興味あるものでした。北欧で80年代に提唱されだしたSDA(Shortend Dental Arch)とは要するに最も後ろの臼歯何本かは補綴しなくても支障がない、補綴することの害の方が大きいという考え方で、医療経済的に利用される可能性が非常に大きい概念です。補綴学会ではこれに対して複数の研究機関で多方面から検証を行なっており、その報告としてのシンポジウムでした。この概念が日本に紹介されてから、日本と欧米の食文化の違いや歯列の形の違いなど、日本人には当てはめにくいのではないかという議論がなされてきました。このシンポジウムでも同様に、やはりすべてこの考えで行ってしまうのは如何なものか、「SDAでも良い場合がある」という考えに落ち着いていたと思います。また昼食時に行なわれたランチョンセミナーでは、審美歯科補綴の基礎、基盤である歯の形成(きれいな形に削る事)を主なる話題として取り上げられていました。これは恥ずかしながら知らない事も多く、非常に勉強になりました。

 学会も以前のように大学に在籍している時に集団で出ていたのとは異なり、個人的に参加していると夕食も一人でとることが多いのです。せっかく神戸に来たのだから何か美味しいものを、などとも考えていました。しかし結局迷ったあげく、帰路途中の場末の中華料理屋に入りました。そこで店の体裁に似合わず美味なるモノが・・・ということにはならず、量は多かったがちょっと寂しい夕食となりました。そこからホテルに向かうとなんとも美味しそうな匂いのするステーキ店やお好み焼き店が。いつもながら失敗してしまったのでした。

 2日目はインプラントの咬合(かみ合わせ方)に関するシンポジウムが午前中いっぱいありました。インプラントが非常に浸透してきた現在にあっても、その咬合に関して確立した理論がない、というかいろんな人が10人10色のことをいっている感があります。これはインプラントの研究や臨床が、口腔外科、歯周病科、補綴科、さらにはインプラント専門家を名乗る人達など、多くの分野で行なわれてきたことが最も大きいと思います。咬合の専門家である補綴科としては、これに対してきちんとした意見を持つべきだと思います。結局本シンポジウムでは天然歯の咬合と特に変化させる必要はないが、インプラントのもつ特性を考慮して歯列全体の咬合の変化に対応できるように観察していかなければならない、という結論になったと思います。もっと言ってしまえば、天然歯の咬合も「こうすればうまくいく」という統一的なものはないのであって、病的でない状態を保てるように全体の変化に対応していくしかないのです。それにインプラントも含んで考えましょうという事だと思います。

 午後は専門医研修会として総義歯の咬合が取り上げられました。最近定着している「リンガライズド・オクルージョン」の話でしたが、これらに関しては別の機会に。

 学会に行ってもうひとつ楽しみなのは、旧知の顔に出会うことです。今回も教室に在籍中にお世話になり現在は母校の教授となっている谷口先生、新潟大学の教授になった同級生の魚島先生、同じオーケストラでビオラを弾いていた2年先輩で、現在総義歯の教室にいる水口先生など、親しくお話しをすることができました。みなほとんど1年ぶりに再会するにもかかわらず、毎日一緒に仕事をしているような話しかたをしてくれる、非常にありがたくも楽しいひと時でした。

 4時に終了して新神戸に向かい、混雑する土産やでプリンやチョコレートを買い込み、何とか夜中に帰り着くことができました。

2007年5月12日 (土)

白川郷

 東海北陸道の荘川インターから白川郷までは、またずっと谷あいの道。周りは山ばかりで、スノーシェードが連続しており、冬の厳しさが想像されました。途中荘川桜のあたりで少し混みあっていましたが、もう午後の時間なのでスムーズに流れていました。白川郷も、連休中はすごい人出という話で、今日お世話になる平瀬温泉の宿の人の勧めにしたがってまず荻町の北にある展望台に向かいました。3時頃白川郷のバイパスに入った直後に駐車場に入る車で渋滞。そこを抜けて集落の北側に出て、天生峠に向かう国道に入り、途中から「天守閣」という土産屋兼食堂の敷地内にある展望台へ。白山をバックに集落が一望できる素晴らしい風景で、写真を撮ったりしながらしばらく人の流れを見ていました。
 集落に降りてゆっくりと通過していきましたが、村のはずれに何とか空いている個人駐車場を発見、車を置いて歩き始めました。ここも人でごった返していましたが、民家園に入場すると比較的静かな状態で、ゆっくりと見て回れました。ここはまわりの廃村になった集落などから移築した合掌造りの家屋を集めてあり、それぞれいろいろなテーマで内部に展示がなされています。私たちはただ今白川郷にある合掌造りということでしか考えていなかったのですが、もっと山の中にあって廃村になった多くの集落の事や、その暮らしのことを若干でも知ることができ、勉強になりました。またここは有名な合掌造りの里ということで廃村になった事がこのように記録されていますが、昔から、そして今でも人知れず過疎地で起こっている現実でもあると思います。
 集落の中は夕方になるにもかかわらずまだまだ人の波でした。暗くなる前に宿である平瀬温泉に向かいました。くる時にも気付いて気になっていたのですが、途中山腹が大きく崩壊している山と、その近くに「帰雲城埋没地」という立看板がありました。旅館の人に聞いても要領を得なかったのですが、帰宅してからネットで調べて大変興味深い歴史を知りました。
 平瀬温泉は、本当に何にもないところですが、宿の表裏を流れる用水路や湧き水の音が懐かしい所です。泊まった「くろゆり荘」はあまり綺麗ではないけれど、厨房の話し声から女将さん家族の楽しい雰囲気が伝わってくる好ましい宿で、また食事は大変美味しかったです。

2007年5月11日 (金)

飛騨高山

 昼食後王滝村から開田高原を通り、目的地である飛騨高山に向かいました。開田高原からは美しい御嶽山をの姿を拝む事ができました。岐阜県側に入るとかなり道の狭いところもありましたが、気持ちのいい山間の道をドライブできました。美女峠というところを広域農道の「飛騨ふるさとトンネル」で通過し、そこから道がわからなくなってしまいましたが、あれあれずいぶん狭くなった、迷ったと思う間に、人ごみの高山市街に入っていました。何とか信号機で場所を確認し、高山陣屋のそばにある民宿にたどり着きました。3時頃でしたが駐車場に車を置いて、古い町並みに繰り出しました。
 それにしてもすごい人込みでした。まるでお祭り中みたいでしたが、それもまた楽し、でも自分の思うように歩けないのは困りました。私と同じで細かいお店、可愛いもの、買い物好きの娘は楽しそうでしたが、息子二人は結構だるそうでもありました。
 お店によりながら雑踏を抜け、町の北側の桜山八幡宮へ。ここではからくり人形を見たいと重い、獅子会館というからくり人形の実演劇場に入りました。これが展示物とともになかなか渋い、それなりに楽しめました。少し日が斜めになってきた町をぶらぶらと、宮川沿いにそぞろ歩き、途中飛騨国分寺などに寄って宿に帰りました。
 今回は夕食なしの宿にして外に食べに出る計画で、とっても迷ったあげく(飛騨牛のステーキにしようか、郷土料理にしようか・・・)少し郊外のイタリアンレストランに予約しておきました。ガイドブックで選んだ「オステリア・ラ・フォルケッタ」という店は、行ってみると思ったよりとってもこじんまりしたお店で、オーナーシェフご夫婦だけでやっているようでした。ちょっと遅い長男の合格祝いも兼ねた夕食なので、奮発してコースにしました。それぞれ何種類か違ったものを頼んだのですが、これが期待以上本当に美味しい、楽しい食事でした。特にメインでありこのお店の看板メニューらしい「飛騨牛ほお肉の赤ワインソース煮」は、一口頂いて感動しました。そんなに下の肥えた私ではないのですが、久しぶりに別格の美味しいものを味わった感じでした。地元ではないので行きつけにできないのが本当に残念です。

 次ぐ日は早起きし、私一人で朝食前に散歩。日中と異なった静かな町をぐりぐり歩いてきました。でももう宮川朝市はとてもにぎやか、朝からお祭りみたいでした。

 朝食のあと、今日はまず高山陣屋へ。私たちもそうでしたが、開門前から人が並んでいました。どっと中に入りましたが、案内を頼んだ人がいたようで、私たちもそこについてずっと解説を聴かせて頂きました。初老のおじさんで市の教育委員会の人だと思うのですが、とても優しく叮嚀かつ巧みな話術で、たくさん勉強させていただきました。金森家の改易や大原騒動、明治初期の梅村県令の話しなど、考えさせられるものでした。そこからしばらく市内を散策し、車で郊外へ。昼食後に娘の希望で飛騨高山美術館(私立、アール・デコ、アール・ヌーボーの主にガラスの美術館)を見ました。いわゆる「鑑定団」などでよく名前のでてくるものが、実物を見ると本当に美しいものでした。今日はそこから中部縦貫道、東海北陸道を経由して白川郷へ。

2007年5月 9日 (水)

木曾御嶽山

 ゴールデンウィークは暦どおりの休みでした。後半は3~5日、2泊3日で久しぶりの家族旅行に出かけました。飛騨高山および白川郷が主な目的地でしたが、いろいろ経由して来ました。
 まず最初は長男の合格祈願のお礼参りに木曾御嶽へ。今回は旅行の途中なので、王滝村の御嶽神社里宮のみお参りしました。
 御嶽山は私の母方の祖父が信仰していた山です。戦前から、その頃は行くだけでもとても大変だったと思うのですが、いわゆる「講」に参加して毎年登っていたと言います。太平洋戦争では南方に送られて壮絶な苦労をしましたが、周りがどんどん亡くなっていく中で御嶽様のおかげで助かったという体験もしたようです。戦後も埼玉県深谷の大きな講に参加し、宗教的な指導者である「先達」などにはならなかったものの、商売をしていた人なので世話役みたいなことをずっとやっていたようです。私も中学生の頃から何度か連れられて一緒に登山しました。最後の方では自分は登れなくなってしまったのですが、今でも王滝村の集落に行くと一緒に麓の道を歩いたのを昨日のことのように思い出します。
 私は王滝村からしか行った事はないのですが、まずふもとに里宮があり、そこから上には道沿いに多くの霊神碑が立ち並び、独特の雰囲気があります。しばらく行くと清滝と新滝という行場があり、夏場には白装束の人達が滝を浴びています。その上はしばらくスキー場になるのですが、途中にこんもりと森があって八海山神社、そして田の原という車道の終点、登山道の始点があります。そこからは節目節目に神様と霊神碑が現れる登山道です。もともと私は山登りが好きなのですが、御嶽山はそんなわけで何度も登っており、その独特な雰囲気もむしろ好ましく思っています。
 ところで昨年の秋、紅葉の非常に美しい時期に家内と日帰りで合格祈願にお参りし、また八海山神社まで行ったのですが、人の少なさに驚いてしまいました。本当に美しいもみじが静かに見られて個人的にはよかったのですが、他の名所が込み合っている中もったいないと思いました。この連休も、まさにゴールデンウィークなのにとっても静かでした。御嶽講の人が減少していることもあるらしいのですが、普通の観光客にも人気がある場所ではないようです。おりしも王滝村は夕張市に次いで財政の厳しくなってしまっている自治体として報道されてります(村の努力で何とか明るい見通しは着いてきたようですが)。逆にそれが敬遠される理由になっているのかもしれませんが、皆さんもぜひ出かけてみてください。
 昨年秋も、今回もここでお昼になったのですが、里宮からしばらく登っていったところにある「さくら」という比較的新しいおそばやさんで昼食を頂きました。あまり舌に自身があるわけではないのですが、わたくし的にはここはとってもオススメです。コシのつよい、香ばしささえ感じさせるおそばです。付け合せのお漬物もとっても美味しかったです。
 旅行の続きは次回。

2007年5月 6日 (日)

インプラント外科講習会

 ゴールデンウィーク前半の29、30日と快晴、ポカポカで行楽日和の中、東京にお勉強に行ってきました。品川のノーベルバイオケア本社研修室にて、堀内先生のインプラント外科セミナー2日間コースを受講ました。堀内克啓先生は阪大の口腔外科出身で、現在奈良県五條市の歯科医院副院長をなさっていますが、インプラント関連の再建外科では著名な先生で、多くの論文、また講演をなさっています。一昨年、先生の別のコースを受講して非常に勉強になったため、現在の自分の位置からの再確認と、その後の新しい知見の吸収のために参加しました。
 私のような補綴出身の者には、堀内先生のように丁寧に外科手技の基本やコツを話してくださる講演は非常に役に立ちます。なかなか大胆なオペはできませんが、先生のおっしゃるように供覧された大きなオペのビデオなども小さな手技の集まりからなっているわけで、私たちの行なうような手術にも大変参考になります。

 2日間泊りがけの講習会はとっても疲れますが、大きな充実感を持って帰ってきました。